学生の活動

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プラットフォーム学修了生に聞く

 2025年の3月に、プラットフォーム学を学んだ第2期の修了生が誕生しました。プラットフォーム学は、情報、通信技術(ICT)を融合させた情報学と、情報やデータ創造し価値創造を行う現場領域(農学、医学、防災等)や文系学術を系統的に連携させる新しい学問領域です。第2期の修了生はいずれも農学研究科のご出身。ご自身の研究にプラットフォーム学的な視点をどのように取り入れたのか、プログラム全体を通じて印象に残っているのはどんなことなのかなど多角的にお話を伺いました。

インタビューにご対応いただいた修了生:
Chen Siyao(チェン・シーヤオ)さん
農学研究科地域環境科学専攻修了、非常勤特任研究員(京都大学)から特任研究員(東京大学大学院生命科学研究科)へと進み、微生物(Microorganism)の研究を進められる予定です。
山中朔人(やまなか さくと)さん
農学研究科応用生物科学専攻修了、学振PD(京都産業大学生命科学部)でクマノミの研究を進めています。
山重貴久(やましげ よしひさ)さん
農学研究科地域環境科学専攻修了、卒業後はキリンホールディングス株式会社で微生物関連の研究をされています。

左からNie Jiluさん、Chen Siyaoさん、山重貴久さん、原田博司プログラムコーディネーター、山中朔人さん。Nie Jiluさんはインタビュー不参加

── まずは皆さんが博士課程で研究された内容とプラットフォーム学との関わりについて教えてください。

Chen Siyao 自分は修士/博士課程を通じて、食品に含まれる微生物、特に大腸菌の効率的な検出方法を研究してきました。寒天培養法などの伝統的な方法は検出に時間がかかるのがデメリットです。その改善のために、アレイ状の素子で微生物を吸引するセンサーを用い、食品の中に含まれる大腸菌の量を迅速に計測できる方法を研究しました。

山中朔人 私はディズニー映画の『ニモ』にも登場するオレンジ色の魚・カクレクマノミを研究しています。この魚は卵を岩に貼り付けるように産みますが、その卵は夜間にしか孵化しないという現象が知られています。では、どのように光受容をして、どう孵化が始まるのか。この生理学的なメカニズムの解明に取り組む課程では、遺伝子の研究が必要になるため、遺伝子操作に役立つプラットフォームを確立する研究も行いました。

山重貴久 実は私とChenさんの研究は非常に近く、使用するセンサーも同じです。目的は微生物検査で検査の時間を短縮できる点です。応用分野は食品や医療など本当に多彩ですが、食品であれば結果がでるまで数日かかっていたものを数時間で見られるようになります。医療分野では実際に患者さんから採ったある菌に対して、どの抗生物質が効くかを判断する際に役立ちます。従来の培養法では1ヶ月ほどの時間が必要でも、このセンサーを使えば1週間程度で結果が出せるようになりそうです。また、センサーを使うことで検査を自動化し、菌が増えて分散していく過程をリアルタイムで知ることができるのも利点です。培養法をベースにした従来の測定法では、まず菌を培養し、その後で人が目視したりにおいをかいだりして判断する必要がありましたが、センサーを用いればこれを自動化できると考えました。その仕組みを将来的に実現するには、既存の通信機器とどう組み合わせてクラウドなどに接続し、その結果を自動判定するにはどのような仕組みを取り入れればいいかを知る必要があり、ここがプラットフォーム学と関わりがある点だと考えました。

── 山重さんとChenさんの研究には共通点が多かったということですね。

山重 はい。同じセンサーを使った研究となります。ただし、対象とする検査には違いがあります。私はセンサーの上で菌を増殖させて細菌の数や増殖能を見るもので、従来の培養に変わる検査法の確立を目指していました。一方、Chenさんは検出に使う回路に誘電泳動という+αの要素、つまり電気的な力をかけて菌を引きつけ、懸濁液の中に菌が何匹入っているのかを調べる仕組みを取り入れているのが違いです。

Chen 私の研究のポイントは、電気の掛け方によって生菌と死菌の区別ができたり、菌種の分別ができたりする点です。生きている菌にはしっかりとした膜がありますが、死んでいるとそのバリアが機能しなくなるので、電気的な性質が変わりわリます。誘電率の違いに着目し、周波数によってどのような菌が集まるのかを定量化できれば、必要な菌だけを集めることが可能になり、この懸濁液の中にどのような菌がどのぐらいいるかを知ることができるようになります。

── プラットフォーム学を通じて情報学に関する基礎的な知識が得られたと思います。ご自身の研究のどのような点で役立ちましたか?

Chen 技術的な側面でお話しすると、私たちは半導体のセンサーを使ってセンシングをしていますが、そのデータの解析には、データサイエンスやプログラミングの知見が必要となります。大量のデータを時間軸で区切ってリアルタイム解析し、そこから有益な情報をどう引き出していくかを考えていく際に、プラットフォーム学で学んだ情報学の知識が役立ちました。自分が研究しているセンサーは、食品だけでなく医学や環境保全など、様々な領域の課題解決にも応用できます。特定の分野に限定せず、領域をまたいだ学際的な方法で課題の解決を目指していくというプラットフォーム学の理念は、自分自身の知見を広げる上でも役立ちました。

山中 私自身が構築したプラットフォームでは通信・データベース・AIと言った情報学の知識はあまり使わず、実験手法やコンセプチュアルな部分の構築が主でした。
 少し具体的な話をすると、生物はタンパク質でできていますが、個々のタンパク質が体の中でどのように動き、分布しているかをイメージング(視覚化)することは困難でした。それが蛍光タンパクによって見えるようになってきました。2008年にノーベル賞を獲得した「光るクラゲ」(緑色蛍光タンパクの発見と応用)の研究をご存知の方がいるかもしれませんが、この20年間でマウス、ショウジョウバエ、ゼブラフィッシュなどのモデル生物に向けた技術が確立しています。とはいえ、マウスの結果が全て人間に当てはまるわけではありません。この手法を様々な生物種に広げる必要があります。魚類においても、ゼブラフィッシュの結果が分かれば魚全体のことが分かるとは言えないため、様々な魚種で遺伝子操作をしてイメージングしていこうという流れがありますが、遺伝子操作をするためには受精卵を操作する必要があるため、卵を産みかつその卵が扱いやすい魚種に限られてしまうという側面もあります。
 カクレクマノミに注目した理由は、卵が岩にしっかりとくっついている魚は遺伝子操作が難しいとされているためです。そこで、卵の扱いや遺伝子操作に必要な物理的な方法、つまり針を卵に刺して、試薬を注入して遺伝子を光らせ、死なせずに上手く育てるという地道な方法をプラットフォーム化しました。
 実は岩に卵を付着する魚は意外に多く、これにはハゼやスズメダイ、フグなどの生産有用魚種も含まれているため、応用の可能性が広いと考えています。
 プラットフォーム学で学んだことを直接適用できたわけではないのですが、様々なプラットフォームを学ぶ課程で「プラットフォームには色々なあり方があるのだな」という実感を得られましたし、「それぞれの分野で課題やニーズをよく考えないといけない」という学びもありました。論文の中では将来的に汎用化できるアプリケーションのあり方についても記載しています。別の魚種で応用ができるかどうかについては、改めて検証する必要がありますが、汎用性があり、共通の手法が使えるという点を意識しています。

山重 正直なところ、私もプラットフォームを作ったわけではありません。ただし、修士までは特定の研究者が使えるものを考えていたのに対して、プラットフォーム学のプログラムを通じてもっと汎用的に使えるもの、標準化もしくは標準的に使えるものになることを意識して、研究やデータ集めを続けてきました。現時点ではプラットフォーム化する前のデータを取得している段階。そのデータをどう集めて蓄積していくか、という方法論を確立する段階と言ってもいいかもしれません。

── プラットフォーム学のプログラムを通じて得たこと、3年間を通じて思い出に残っていることなどを教えてください。

Chen 思い出はたくさんありますが、プログラム全体を通じて様々な領域の専門家、会社の社長さんなどから研究者とはまた違った視点のお話を聞けた点は、普通に研究をしていくだけでは得がたい経験で、大変勉強になりました。具体的に自分が参加したものでは、フロリダ大学の学生さんたちと一緒に取り組んだワークショップが印象に残っています。自分たちでテーマを決め、プレゼンをし、交流を通じて様々な知見を得られた貴重な経験でした。
 このワークショップでは、まず参加者が自由に意見を出し合って話の引き出しを広げ、議論の軸を作ることから始める「アメリカ流のやり方」を学べました。アジア的なやり方とは違うものですが、こうした事柄をアメリカに行かずに学べるのは珍しいことだと思います。
 専門との両立という面でも、レポートを書く時間などは必要でしたが、そのために使うのは月に12時間と決めていたため、負担はありませんでした。逆にレポートを書きながら、研究テーマがゼミのテーマとどう繋がるかを考えたり、調べられたりする過程で得るものが多かったです。研究を応用したり、社会実装したりしていくために何が必要かなどを考える機会が得られました。

山中 様々な思い出があります。5年分の内容を3年間で進めたこともあり、特にD1では授業が多くて大変でしたが、デバイスを使った実習などは農学研究科では触れる機会がないものだったため新鮮でした。企業の方の前でプレゼンしてフィードバックをもらったり、英語の授業なども少人数でやらせてもらったりと濃厚な時間を過ごせました。
 毎月実施される連続セミナーも興味深かったのですが、その中では「スマート水産業」を扱った回が印象に残っています。セミナーには僕の所属するラボと関係するベンチャー企業の社長さんが登壇されました。「よく知っている領域の話だから、聞かなくてもいいのではないか」と思っていましたが、経営やプラットフォームの維持など技術以外の話も多く聞けて、新鮮な視点を得ることができました。
 専攻との両立という意味ではほとんど負担に感じることがなく、楽しくやらせてもらったという印象です。レポートは2〜3日かけて作る程度でしたし、週に1〜2コマ程度の授業もありましたが、忙しい時期とは重なりませんでした。逆にD3では活動が少ないと感じたほどです。あとは論文を書く少し手前に英語の授業があり、表現などの勉強になりました。僕が所属する学会は、日本の学会ですがなぜか英語で実施されるところだったので、英語のプレゼンテーションの機会が得られたのは博士課程を通じて多かったと思います。

山重 いろいろありますが、一番は「ICTイノベーション」に出させてもらったことです。これまで話す研究者は農学系や生物系の人が中心で、質問もある程度想定できるものが多かったのですが、情報系の人や工学系の人からは違った角度からの質問があり新鮮でした。例えば、「(自分が開発したセンサを使って)何ができるのか、なんで見えているのか」といった質問ではなく、「このセンサの動作原理」や「センサそのもの」への質問が多かったです。私はセンサを使う立場の人間だったので、適切に答えられないことも多かったのですが、同時にこういったことも押さえないといけないことなのだと実感できる学会でした。これらの質問を通じてセンサそのものやその動作原理について深く考えた経験は、その後大きく役立ちました。両立という点では、山中さんと同様に私もドクターからプラットフォーム学のプログラムに参加したため、授業などはD1で詰め込みました。ただ、負担というほどではなく、いい息抜きというか、バランスよくできたと思っています。レポートについても決められた枠の中で消化できたため、負担にはなりませんでした。

── フィールドリサーチの経験についても教えてください。

山重 私はイタリアに行きました。カンポバッソという内陸にある小さめの都市ですね。初めての土地で、英語も通じにくい場所でした。今まで言語が通じないところで、生活したことはありませんでしたが、環境に置かれればなんとかやっていけるんだというのが分かって面白かったです。受け入れてくれた研究室の都合もあり、現地でのテーマも自身の専門とは違うものになりましたが、新しいことができたし、結果も出せたと考えています。帰国後ではありますが、僕自身が関わった研究の内容を国際学会で発表してくださったりもしたと聞いています。

山中 私の場合、フィールドリサーチには自分自身の研究のために行き、その資金援助をいただいたような形でした。上智大学と基礎生物学研究所という国内2ヶ所に何度か足を運びました。上智大学では既存の方法を学び、自分の作ったプラットフォームと比べることができました。基礎生物学研究所では、作ったプラットフォームを用いてクマノミの孵化という生命現象を理解するための実験をしにいきました。プラットフォームを作るところと、それを使ったサイエンティフィックな活動をするという二段階のプロセスの両方を実践できたのがよかったと思います。

Chen 自分はフランス南部のモンペリアにあるL'institut Agro、日本流に言えば農研機構に近いところに行きました。大学と研究機関が合わさったような場所です。ラボでは教授に色々なお話を聞き、案内されながらラボの皆さんと相談して研究を進めました。先方はデータサイエンスが専門なので、センサーを研究する自分に対して、先方がそのデータをよく解析するための改善案を出す形で議論を深めることができました。向こうの先生も日本を訪問して、サクラプロジェクトなどの国際交流を進めることができました。

── プラットフォーム学の経済的な支援についての感想や意見もいただけますか?

山重 プラットフォーム学からの支援という意味ではやはり「RA」(Research Assistant)としての雇用があり、月3万円程度の収入が得られたことが大きくありがたかったです。ヨーロッパにいく際にも、エラスムスの奨学金だけでは足が出てしまいますが、地腹を切ることなく行くことができました。

山中 私も学振に加えてRAで月3万円の支援が受けられる点が大きかったです。結果、車を買うこともでき、研究では魚を運搬することもありますし、使う機材も大きいので役立ちましたね。欲張れば、研究費ももらえます。私の場合、プラットフォームを作る研究と博士論文の研究費は別だったので、欲を言えばプラットフォームを作るための研究費も少しいただければ助かりました。

Chen 自分も似たような感じです。学振をもらって3万円プラスで、増額をするようにしています。最後の1年に得たのは23万円でした。この額がもらえれば、悩まずに生活ができ、研究に集中できたので助かりました。

── 後進の皆様にプラットフォーム学の良さを伝えるとしたらどんな点が挙げられますか?

Chen おすすめポイントは、やはり学内では学べない知識、触れられない先生や学生と出会え、知見を広げられる点です。卒業後にはプラットフォーム学を修めたという学位ももらえます。履修することでプラスになる点は多いと思います。

山重 おすすめのポイントは、自分の研究科だけでは触れられない人に会えて圧倒的に視野が広がる点ですね。大それたことは言えませんが、俯瞰的な視野を身につけられると思っています。理系の研究は専門性が高く視野が狭くなりがちです。ある領域を突き詰めていくことになるのでそこは仕方がないところですが、プラットフォーム学では自分の専門を実世界に組み込んで、どう使い、どう応用して、世の中に価値を生み出すかを考えるきっかけをくれたと思っています。

山中 自分の出身でもある農学科の学生さんに向けたおすすめポイントを挙げるとすれば、研究室の中では培えない視点をいただけることだと思います。アカデミアではテクノロジーとサイエンスの両軸で研究を進めている人が多いと思うのですが、プラットフォーム学の枠組みでは、このテクノロジーとサイエンスに加えて、社会実装や現場にどうフィードバックしていくかという視点をいただけたと思っています。プラットフォーム学はそんな「アカデミアと社会実装のインターフェース」であると実感できたことは一つの学びでもありました。

── 卒業生からのお話を聞いて、プログラムコーディネーターの原田先生はどのように感じられたのか、最後にお聞きしたいと思います。

原田 本プログラムに入学したときに比べ、プラットフォームについて自らさまざまな視点で考えるようになられて、素晴らしいなと思って聞いていました。

── 先生から卒業生の皆さんに対するメッセージはありますか?

原田 皆さんはプラットフォーム学の二期生となります。まだプラットフォーム学の概念が曖昧だった時期で、私自身や他の先生も色々なトライアルを重ねてくなか、それをしっかりと打ち返してくれたことを感謝しています。
 私自身にとっても印象深いことが多く、クマノミの話を聞くと山中さんの顔を思い浮かべるようになるなど、私自身も皆さんの研究をしっかり説明できるようになっています。その過程で、私自身の視野も広がったし、ICTがまだ使われていない分野があり、まだ十分に共同研究が行われていないことも分かってきました。
 運営側にいる我々にも発見があった3年間でした。振り返れば、皆さん自身が安定して研究に取り組んでいるから、プラットフォーム学自体が安定期に入ったという安心感も得られました。私は学生さんがエンジョイするには自分自身もエンジョイできなくてはダメだと常々思っています。その意味では双方が楽しんでプラットフォーム学のプログラムに取り組めたし、意味のある時間を過ごせたと思っています。その感謝を伝えたいと思います。
 安心感があると言いましたが、皆さんのアプローチがとても丁寧で乱暴さがない点に好感を持っていましたし、それがしっかりと研究に結びついたと思っています。私が常々思っているのは、人生で本音を喋れるのは、ご両親とか大学の研究室の仲間など非常に限られているということです。ともにプラットフォーム学を学ぶ仲間は、刺激し合う関係でありつつも、同分野ではないので敵(ライバル)にはなりません。いい距離感でお互いに向上できる関係を築けたのではないでしょうか? これは利益や利害関係がないことも関係しているのかもしれません。

── 最後に先生から卒業生の皆さんへの質問、逆に卒業生から先生への質問はありますか?

原田 実際にプログラムを受けてみてICT基盤についての理解ってどのぐらい深まったのかはちょっとした関心事ではあリますが、自分の分野に応用できるような手がかりをプラットフォーム学の中から感じることはできましたか?

山重 私はすごく感じることができました。プラットフォーム学のプログラムに参加する前はセンサーで測って/測れたというデータを積み重ねてきただけだったのですが、これをこういうものとつないだらこういうことができるといった広がりをイメージできるようになったのは、プラットフォーム学に入ったからこそだと思っています。標準化や規格化をしていろ色な人が使えるようにするという考え方自体が私の中にはなかったし、その研究の社会応用や社会実装を考えるということ自体が研究にすごく役に立ったと思います。また、プラットフォームの構築とは直接関わらないことかもしれませんが、「フィロソフィーを持ちなさい」と先生に言われたことも大きかったと思います。

原田 今後、皆さんが、研究者として人生が過ごしていく過程で、研究のテーマは変わっていくでしょう。フィロソフィーを持つと、変わることへの抵抗感がなくなる。また、他の人がどう言おうが自分の規範で決める心構えができる。ここが大事なところだと思っています。
 30代、40代と歳を重ね、経験を重ねれば重ねるほど、研究テーマを変えることが怖くなっていくかもしれません。でもフィロソフィーの作り方さえ覚えておけば、どんな研究も始められるし、研究が変わることに対する恐怖感もなくなると思っています。メディカルドクターが自分で検査した結果と自分の基準を照らし合わせて病名を決め、処方箋を出すのと同じように、エンジニアリングのドクターも目の前の課題に対して、自分の規範(フィロソフィー)に沿って、自分の決めた道を進んでいくのです。ドクターになった皆さんは、ある大きなものを体系立てて理解したということです。そこのことに自信を持つべきだと思います。

── フィロソフィーを持つことは変われるということだという言葉が印象に残りました。不透明で先が見えにくい世の中だからこそ、必要なことと言えそうです。より一層の柔軟性が求められる一方で、確固としてブレない軸が必要である。そんなメッセージに感じました。

原田 はい。頑固(スタボーン)ではダメで、柔軟性があるといいと思います。そして、フィロソフィーがあれば、時代に合わせて変わることができます。これから20年、30年と研究を続けていくということは、大学でいえば修士から博士課程までの期間を3〜4回は繰り返せるということでもあります。時代の変化に対して柔らく、しなやかに対応できる研究者になっていければいいと思いますね。しかし、こだわるべき最後の一線については頑固である方がいいと思います。これから社会に出ていく皆様にはノイズや様々な誘惑がありますが、それに惑わされてはいけない。自分自身の美学を持って、研究を進めてもらいたいと思っています。

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